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人を想う気持ちから生まれた、一枚の張り薬 【糾励根】

こんにちは。

糾励根シリーズブログ、第二弾!
前回は糾励根の魅力や基本的なお話をしましたが、

今回は「どうやってこの商品が生まれたのか」という裏側のお話をしていきます。

 

当店で人気の張り薬、「糾励根」は、
単なる外用薬ではありません。

 

その背景には、
「目の前で苦しんでいる人を、

  どうにかして助けたい」
という、一人の人間のまっすぐな想いがあります。

 

今回は、糾励根を生み出した
霜鳥信明という人物の物語を詳しくご紹介します。

 


人を診る祖父の背景を診て育った少年時代

霜鳥信明は、明治25年、新潟県の農村に生まれました。
三男として育った信明にとって、
大きな存在だったのが祖父・富八郎です。

 

祖父は皇漢医家(日本の立場から漢方医学を探究した医家)として、
病に悩む人々から頼りにされる存在でした。
治療をするだけでなく、寺子屋を開き、
村の人たちの相談役のような存在でもあったといいます。

 

幼い信明は、
祖父が薬を調合し、人の話に耳を傾け、
少しずつ元気になっていく姿を、そばで見て育ちました。

 

このときに感じた

「人の役に立つ仕事の尊さ」が、信明の心に深く刻まれていきます。

 


東京での生活と、人生を変えた出来事

青年期を迎えた信明は上京し、
さまざまな仕事を経験します。

 

その頃はまだ、
自分が薬を作る人生を歩むとは、思ってもいなかったかもしれません。

しかし、関東大震災がすべてを変えました。

 

街は崩れ、多くの人が傷つき、
十分な治療を受けられないまま亡くなる姿もありました。

その光景を前にした信明の胸に、
祖父の治療で元気を取り戻した患者さんの笑顔がよみがえります。

 

「祖父の遺したものを継ぎ、病や怪我に苦しむ人を救いたい」

 

信明は、この出来事をきっかけに、自ら薬の道へ進むことを決意します。

 


遠回りを選んだ理由

信明はすぐに薬を作り始めたわけではありません。
まずは「体をどう整えるのか」を徹底的に学ぶ道を選びました。

鍼灸の資格を取り、
鍼灸院で経験を積み、
指圧やさまざまな治療法にも触れていきます。

 

遠回りのように見える道でしたが、
「本当に役立つ薬を作るためには、人の体を深く知る必要がある」

そんな信念があったのだと思います。

 


極寒の地・樺太で生まれた糾励根

研究を続けるには、場所も資金も必要でした。

信明は思い切って樺太へ渡ります。

 

丸太小屋を建て、
幼い子どもを育てながらの生活。
生活費を稼ぐため、材木を切り、薪を売り、
空いた時間は薬の研究にあてました。

 

厳しい環境の中でも、
「人の役に立つ薬を作りたい」
その気持ちだけは揺らぎませんでした。

こうして、糾励根は誕生します。

 


名前に込められた想い

糾励根という名前は、とても不思議です。

 

パッケージには旧字の「励」が使われ、
「キウレイコン」と表記されていますが、
読み方は 「きゅうれいこん」 で問題ありません。

「糾励」という植物の根だと誤解されることもありますが、
この名前は霜鳥信明自身の哲学的な想いから名づけられたものです。

信明は、その明確な意味を誰にも語らなかったと言われています。

  • 「糾」…合わせる、集める

  • 「励」…励ます、努める

  • 「根」…根気、六根清浄

そこから、

「六根を清浄にし、人の世の家業に励み、他と協力する」
「家族や周囲が力を合わせ、病人を励まし、病の根を取り去る」

など、さまざまな解釈が語られています。

 

一つの意味に限定されないところに、
信明の深い思想が感じられます。

 


「人喜ばせ、我喜ぶ」無料施薬の旅

糾励根が発売された当時、
水で練って使う貼り薬は、時代に合わないものとして見られていました。

 

それでも信明は、
「使ってもらえれば、必ず伝わる」
と信じて、全国を回る施薬の旅に出ます。

 

無料だからこそ疑われることもありましたが、
何をしても良くならなかった人が
「楽になった」と笑顔を見せてくれる。

その一つひとつが、
信明の背中を押し続けました。

 


10万人に届けた、一枚の張り薬

生活を切り詰めながら続けた施薬の旅は、
5年の歳月をかけて、10万人に糾励根を届けるという形になります。

 

日本各地だけでなく、樺太、満州、台湾へも足を運びました。

施薬の旅から戻ると注文が入り、その代金が次の旅費になる。

 

そんな循環を、何年も続けていったのです。

 


晩年まで続けた「施薬」という原点

糾励根の使用者は全国に広まりましたが、
水で練るという独特な使い方は、実際に体験しなければ理解されにくいものでした。

 

「使ってもらえれば、必ず実感してもらえる」

 

その想いから、信明は晩年まで、
東京の糾励根本舗や各地の販売店で施薬を続けました。

 

病や怪我が和らぎ、
笑顔になる人を見ること――
それが、霜鳥信明にとって何よりの幸せだったのでしょう。

 


糾励根は”薬”である前に、”想い”の結晶

糾励根は、単なる外用薬ではありません。

 

一人の人間が、人を助けたいという想いを貫き、
人生をかけて生み出し、伝えてきた薬です。

 

その背景を知ると、
糾励根を貼る時間が、少し違った意味を持って感じられるかもしれません。


このブログは武蔵境にあります、すずらん健康館の遠藤綾華(薬剤師)が書きました。

 

すずらん健康館はJR中央線、武蔵境駅北口徒歩5分にあります、漢方・健康食品を中心に取り扱っている漢方相談店です。日々、お悩みの身体の症状、心の悩みなどありましたら、ぜひ店頭にお越しください。
薬剤師・登録販売者・国際中医師などの資格を持ったものが健康相談をお受けしています。

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